南日本美術展
鹿児島の美展の季節となりました。
今回は、
所蔵されている郷土の先生方の作品にも出逢えるという特別な常設展にも胸を踊らせ
向かいました。
1994年の作品
米田安希先生
ICHIRINSYA
(写真はありませんので、お出掛けしてご覧くださいませ)
東郷青児さま、海老原喜之助さまの壁面に見守られるように
その作品は
浮かび上がっておりました。
脳天突き抜ける衝撃でありながら
沈思黙考
という言葉が
静かに降りてくるのです。
この数年
先生のファンタジーの世界に
ゆったり浸かって居続けたせいかもしれません。
拝見した図録で、かつての作品に触れ
孤独や闇、哀しみと愛の融合など
など
の表現も
存じていたつもりなのに
実物には、
その作品がもつ
ストーリー
出来上がるまでの蠢く命
強烈でありました。
観る者側に託されている
自由な感性
1994年
二科展で特選
南日本美術展でパリ賞
時の作品
1990年代
泡のような好景気がはじけた
記憶が
甦り、、、
日本経済への大打撃
自身のメモリーが動きだし
幸せな瞬間に支えながらも
私とは? どこへ向かっていきたいのか、、、
結婚生活の中に居ながら
勝手に模索していた記憶が
甦りました。
一輪車
横文字であることで
その字がもつ単語
想像する利点
位置臨者
とも書ける
と
得意の妄想が始まり
自分の位置を臨む
と目を閉じると
臨むによって
挑む、望む
という言葉遊びへ繋がっていく。
この作品に描かれている
一輪車に
乗っている者と
乗る者から離れた一輪車
こちらを視ている中心に描かれている少年
バランス
コントロールできぬモノは
進めない
体幹とバランス能力さえあれば
手が自由の一輪車
上手く乗りこなせた者にしか味わえない高揚感
その一輪車を放り投げ
自分の立ち位置を思う
何に挑み
何を望み
生きていけばいいのか
迷う
多感な者が知る
闇
光は、その先に必ずあるのに
歩かなければ
小さな灯火は、見えてこない。
その一輪車に再び
乗れた時
暗闇の中では、
馴れた身体でも、難しいことを知り、
内部の力が、繋がった時に
呼吸が導いているのを知る。
内なる神
全てが統合されると
前進
仄かな灯りは、
我を照らす一条の光になる。
そこへ進んだ人だけがもつ気力
それが
スピリチュアル
あぁ
ひとりで、監督の如く
創造した芸術の時
長くなりましたのに、 ご一読いただきありがとうございます。
ペコリ
水曜日に
久々に
右脳全快の美術展でございました。
さて、ここからは、
穏やかに
先生の作品の前で
身動きとれなくなったかのような
仁王立ちにも見える女性
サスガです、先生。
こうして、多くの方のハートを温め、慰め、励まし
アートのパワーと美
降り注ぎ続けられております。
今回の作品も、私のような者が
表現することは、失礼であるけれど
そのまま
観る側の
思い、家族、生き方に重ねて
ストーリーが展開されていくことが
願いでもあるのかもと、、、
180°
左右に動いて観察しながら
どこにいても向かってきてくれる
2輪車の彼に
ときめきながら
絵画のもつ魅力は
ひとりじゃないよ
ひとつになれるんだよ
というメッセージなのだ
と
今更ながら
背景が、伝えている温もりにも
心寄せながら
美術館をあとにしました。
米田先生
ハルミちゃん
いつもご厚情ありがたく存じます。
皆様の感性へも
届きますように。
どうか
お出かけくださいませ。
芸術は、人を癒します。
心を調和します。
時代を支えます。
オーム
シャンティ
今回は、
所蔵されている郷土の先生方の作品にも出逢えるという特別な常設展にも胸を踊らせ
向かいました。
1994年の作品
米田安希先生
ICHIRINSYA
(写真はありませんので、お出掛けしてご覧くださいませ)
東郷青児さま、海老原喜之助さまの壁面に見守られるように
その作品は
浮かび上がっておりました。
脳天突き抜ける衝撃でありながら
沈思黙考
という言葉が
静かに降りてくるのです。
この数年
先生のファンタジーの世界に
ゆったり浸かって居続けたせいかもしれません。
拝見した図録で、かつての作品に触れ
孤独や闇、哀しみと愛の融合など
など
の表現も
存じていたつもりなのに
実物には、
その作品がもつ
ストーリー
出来上がるまでの蠢く命
強烈でありました。
観る者側に託されている
自由な感性
1994年
二科展で特選
南日本美術展でパリ賞
時の作品
1990年代
泡のような好景気がはじけた
記憶が
甦り、、、
日本経済への大打撃
自身のメモリーが動きだし
幸せな瞬間に支えながらも
私とは? どこへ向かっていきたいのか、、、
結婚生活の中に居ながら
勝手に模索していた記憶が
甦りました。
一輪車
横文字であることで
その字がもつ単語
想像する利点
位置臨者
とも書ける
と
得意の妄想が始まり
自分の位置を臨む
と目を閉じると
臨むによって
挑む、望む
という言葉遊びへ繋がっていく。
この作品に描かれている
一輪車に
乗っている者と
乗る者から離れた一輪車
こちらを視ている中心に描かれている少年
バランス
コントロールできぬモノは
進めない
体幹とバランス能力さえあれば
手が自由の一輪車
上手く乗りこなせた者にしか味わえない高揚感
その一輪車を放り投げ
自分の立ち位置を思う
何に挑み
何を望み
生きていけばいいのか
迷う
多感な者が知る
闇
光は、その先に必ずあるのに
歩かなければ
小さな灯火は、見えてこない。
その一輪車に再び
乗れた時
暗闇の中では、
馴れた身体でも、難しいことを知り、
内部の力が、繋がった時に
呼吸が導いているのを知る。
内なる神
全てが統合されると
前進
仄かな灯りは、
我を照らす一条の光になる。
そこへ進んだ人だけがもつ気力
それが
スピリチュアル
あぁ
ひとりで、監督の如く
創造した芸術の時
長くなりましたのに、 ご一読いただきありがとうございます。
ペコリ
水曜日に
久々に
右脳全快の美術展でございました。
さて、ここからは、
穏やかに
先生の作品の前で
身動きとれなくなったかのような
仁王立ちにも見える女性
サスガです、先生。
こうして、多くの方のハートを温め、慰め、励まし
アートのパワーと美
降り注ぎ続けられております。
今回の作品も、私のような者が
表現することは、失礼であるけれど
そのまま
観る側の
思い、家族、生き方に重ねて
ストーリーが展開されていくことが
願いでもあるのかもと、、、
180°
左右に動いて観察しながら
どこにいても向かってきてくれる
2輪車の彼に
ときめきながら
絵画のもつ魅力は
ひとりじゃないよ
ひとつになれるんだよ
というメッセージなのだ
と
今更ながら
背景が、伝えている温もりにも
心寄せながら
美術館をあとにしました。
米田先生
ハルミちゃん
いつもご厚情ありがたく存じます。
皆様の感性へも
届きますように。
どうか
お出かけくださいませ。
芸術は、人を癒します。
心を調和します。
時代を支えます。
オーム
シャンティ
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