築地の思い出
朝の散歩の途中、文字に惹かれて足を止めました。
明治38年と刻印されている
明治25年、銀座、築地方面と月島の間に、月島の渡しが開設されたが、月島の発展にともない、これのみではさばけなくなり、京橋区民が渡船場を設置し寄付したらしい
それが勝鬨の渡し
月島が工業地帯として発展する基になったが、大正12年大震災後、勝鬨橋の開通とともに廃止
橋名に受け継がれてその名を残しているらしい。
有名な橋だけに
そこまでの歩みを知ると、渡るときに川も空もビルにも想いがあって、私達を見守ってくれているような気がしてくる。
由縁を知ることは、日本の一片を知るということだ。
散策は、小さな未知との遭遇でもあるよね。
曇っていたから、冬景色のような風情もなんかいい感じ
たくさんの写真から選ぶのが、また楽しからずや(^^)
明治38年と刻印されている
明治25年、銀座、築地方面と月島の間に、月島の渡しが開設されたが、月島の発展にともない、これのみではさばけなくなり、京橋区民が渡船場を設置し寄付したらしい
それが勝鬨の渡し
月島が工業地帯として発展する基になったが、大正12年大震災後、勝鬨橋の開通とともに廃止
橋名に受け継がれてその名を残しているらしい。
有名な橋だけに
そこまでの歩みを知ると、渡るときに川も空もビルにも想いがあって、私達を見守ってくれているような気がしてくる。
由縁を知ることは、日本の一片を知るということだ。
散策は、小さな未知との遭遇でもあるよね。
曇っていたから、冬景色のような風情もなんかいい感じ
たくさんの写真から選ぶのが、また楽しからずや(^^)
コメント