連休の旅
名古屋から高野山へ名古屋、大須観音へ
家族連れが多くて駅構内から活気があり
ありがたい桜にも出逢えて、久しぶりに並んでの参拝もいいものだ。
他にも目的があったので、一泊して翌朝
清々しい~
木々の下は、ありがたきプラーナに満ちて、呼吸に集中させていただけた。
早朝って、今さらだけど
誠に恵みのものだと思う。
そうそう
[ 十月十日 ]
というお母さんのお腹の中で育つ期間を文字にしたら
朝!!
ってご存じでしたか。
(本来の語源は、日の出と月の関係性なんだけど。)
トツキトオカということで、生命を意味し
新しい朝の始まり
生まれ変わるチャンスなどの
思いを含んでいるとか。
朝活は、生命エネルギーとつながるはずですよね\(^^)/
新しいエネルギーいただき、
出発。
新幹線を利用しましたが、鹿児島から行くより遠く感じたのは、高野特急に乗れなかったせいでしょうか。
ローカル線だと乗り過ごすんでよね私(笑)
ひとり行動は、こういう時、気楽でありがたい。
さてさて、今回も高野山に近づくにつれ、日本人は、いなくなります。しかし、宿によっては、外国人受け入れないところもあるようです。
供養を大切に、心を悼めていらっしゃる方を優先しているのでしょう。
今回は、また初めての宿坊となりました。
数を重ねるごとに、落ち着いて過ごしているように思います。現地の方と話をすると宿にも格差があるらしいのですが、私には、それは関係ないようです。
それぞれの良さがあり、馴染めないことがあっても、何もかも新鮮。教えと共に全ては起こっていて
今回も観察し続けました。
急な階段の三階で、部屋が並んでおりまして、
隣の方が、笑顔で間違って入ってきたり(笑)
鍵をしない私のせいよね。
とても柔らかな波動を感じる方
お詫びに高野山の人気の生菓子を持ってきてくださった。
そんなぁ、気にすることないのに、と言いながらも
遠慮しないで喜んでしまいました。
かさ國の生餅。ここは、無添加の菓子屋。
素朴で好きなんです。
どの宿坊でも、みろく石、お茶に添えてくれます。
高野山で暮らしたら、味覚が正気に戻るのだろうなぁと思うことがあります。
男性でありながら、お肌の質感まで清澄な僧侶。
粗食、修行は、当然のことながら、宿泊者の食事、お布団の準備まで、若い方は行います。
身のこなし。骨から皮膚まで連動した無だのない動き。
力みをはずしたら、こうなるんだわ
と全てが学びです。
敬服です。
急な階段をスリッパで上がる時、力んでいる自分が可笑しくて凡人の無邪気さ。(*゚ー゚)
そして、
勤行も、様々な展開があることを知ります。
流れ、僧侶の数、法話があるかないか、時間も...
違います。
宿坊との出会いも天の思し召しとして、試してみると気がついてなかった自分の内部に出逢えます。
宿坊は旅行気分で行くところではないのかもしれません。旅は、欲望、未知の楽しみなどワクワク感があるから、快適な宿を求めリサーチしますよね。
でも、お寺をホテルではないのです。
テレビ、ポットは、ありますが、時計はありません。
今回は、ティッシュもありませんでした。
トイレもない部屋の方が多いかも。
今回、こたつがあって
救われましたけどね。
12月に行ったとき、エアコンあるのに、凍った(笑)
3月でも、朝夕寒いです。
今日もバスを待つ間、12月が甦り足をバタバタさせて暖めました。弱き現代人(;∀; )
そう、その弱さを認めながら
呼吸の質を昨日より高める努めをし、深部あってこその我が身というところを彷徨い、
動じない瑜伽へ歩んでいるようです。
彼岸の中
尊い天啓となりました。
全ての繋がりに感謝申し上げます。
皆様のご多幸
常に祈念して
合掌
オン アビラウンケン
バザラダトバン




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